すきこそものの上手なれー水彩画をはじめたきっかけ

図1 石田貞雄 『道化』シリーズ
私の場合、好きになる事とする事は別のような気がする『水彩画が好き』といえばちょっと異なる。勿論絵を描くことは楽しい。しかし、描いた水彩画が認められることが嬉しいのかもしれない。
小学生の頃
書初めコンクールと、くり祭りの行灯の奉納画(和紙水彩画) 1)を毎年のようにクラスで推挙された。特に絵や習字を習っていたわけでもないのに何故かわからない。更に、高学年時美術専門担当吉田先生から風景画をコンクールに推挙された。書道と水彩画は日本画の基礎を学ぶ機会を提供すると私は考える。
これらを認められたのは意味があったのかもしれない。確かに、描くことは嫌いではなかった。しかし、それ以上にクラスの中で認められたのが嬉しかった。これが、絵を描くことが始まった原点である。だから、絵を描くことが好きで始めたというわけではなく、クラスで認められることが嬉しかったから、描くのが好きになったのが正直なところである。
毎年のこととしてクラスメートとの年賀状の交換が始まり、凝った年賀状を書き始めた。これが水彩画の始まりである。時にはシルクスクリーンや版画となることもあった。最低年に一度は、絵の発表の機会をいただいたのである。
高校時代
姉の知り合いからデッサンと油彩を習う機会をいただいた。恩師は自由美術協会所属故石田貞雄氏2)である。清瀬リハ学院で3)は作業療法学科の過程に『美術』という授業があった。石膏デッサンと絵画の構図や色彩対比など絵画の基礎を学ぶ機会を得た。基礎の基礎である。これらの作品について並行して引き続き石田氏より指導を受けることができた。
図1は、ただ一つ手元に残る石田先生の水彩画作品である。私の結婚祝いにいただいた本格的な初めて出会った水彩画作品である。先生の具象時代の『道化』シリーズのひとつとなっている。
作業療法士の傍ら
作業療法業務の傍ら油絵は続けた。名大教員時には同じく自由美術協会所属故市橋安治氏4)の指導を受け自主グループ『白彩会』を立ち上げグループ展を初めて主催したが、名古屋を離れたと同時に会からは離れた。

図2 スケッチ しまなみ海道と三原の町並み
本格的に水彩画を始めたのは、広島県立大学時に所属した三原美術協会5)でのことである。スケッチ旅行に参加したり、グループ展にも出品させていただいたりした。この時のスケッチ出品作品が図2である。研究室の窓から、しまなみ海道と三原の町並み、そして学舎を描いたものである。これが私の初めての水彩画作品となった。拙い作品ではあるが、当時の思いを込めて描いたものとして、ここに紹介させていただく。( 高田 )
継続の原動力は・・
ひとつの道を継続することは大切であると考える。その原動力は楽しむことであり、周囲の人々から認められることではないだろうか。
1) https://www.ookunitamajinja.or.jp/matsuri/9-kurimatsuri.php
(2025年6月20日参照)
2) https://www.chu-wa.com/sadao-ishida.html中和ギャラリー WEBサイト
(2025年6月20日参照)
3) https://kiyoserehagakuin.wixsite.com/kiyoserehagakuinホーム | kiyoserehagakuin
(2025年6月20日参照
4) https://www.chu-wa.com/yasuji-ichihashi.html中和ギャラリー WEBサイト
(2025年6月20日参照)
5) https://www.bunkacky.jp/report/detail.php?id=196
ブンカッキーネットひろしま ひろしま文化・芸術情報ネット
(2025年6月20日参照)